dis-papa’s blog

今一つ、夫との冷めた生活にピリオドを打つことができない妻の、夫に対する疑問と愚痴のブログです。

私の幸せ

毎週末、私は憂鬱になる。
平日ほど幸せな時間はないと思えるくらい、この人が家にいることが苦痛でならない。
私は一階、この人は二階、その間を好きに移動する子どもがいる、その空間のおかげでまだ気持ちは軽い。一般に、週末はなるべく家族で過ごしたいと思うのだろうが、こうも冷め切っている夫婦だと思いは異なる。どこか行けばいいのに、と。

そんな週末が終わって、晴れて幸せな月曜日を過ごした。私の幸せは、この人がいないことだ。
水族館に行く予定が、急きょ子どもの希望で実家に行くことになった。家では、あー・・・この人と出会う前に戻れたら・・・そんな空想でさえも、その時間は幸せだった。

それも束の間、さて、帰って夕食作らないと。そう思い用事を済ませて帰り、座る間もなく作り始め、時間に子どもと一緒に食べる。この人は気まぐれで帰るメールをよこす。しかし今日は来なかった。
子どもが夕食を食べながら寝てしまった。私はいつ帰ってくるかわからない人を待つことなく、先にお風呂に入ろうとしたその時、この人は帰ってきた。
玄関ドアが開いた瞬間、いつもながら驚いた。顔が怖い。今日はいつも以上に怖い。
案の定、「お風呂に入っても?」と聞くと、「んー・・・」と低い声。これは納得していない返事だ。自分の思い通りにいかない時の、この人の苛立ちの特徴の一つだ。
それでもお風呂に入り、出てきたときに「ご飯は?温めますか?」と聞いたら、「んーーーー・・・」と。これは、“もういい、いらない”という意味の返事だ。今までの経験ではだが。「あーいらない?」と聞くと「うん」と。「わかった」と返事をして、私は頭を乾かし始めた。その返事も気に入らなかったのか、音を立てながらそそくさと上階へ行った。

助かった。できるだけ距離が遠い方が落ち着くのもそうだが、何より明日の夕食は作らなくて済むからだ。明日はこの人には、今夜のものをそのまま温めて食卓に出すだけでいい。ありがたい。子どもとは、大好きなうどんでも作って一緒に食べよう。明日も少し残業して来てくれるといいなと切に願う
 
何度も言うが、私の幸せは、この人がいないことだ